» 境内案内

  • 1.江の島弁天橋
  • 2.青銅の鳥居
  • 3.車祓い所
  • 4.朱の鳥居
  • 5.瑞心門
  • 6.福石
  • 7.江の島弁財天道標
  • 8.杉山検校の墓
  • 9.手水舎
  • 10.辺津宮
  • 11.社務所
  • 12.奉安殿
  • 13.八坂神社
  • 14.稲荷社・秋葉社
  • 15.中津宮
  • 16.山二つ
  • 17.山田検校顕彰碑
  • 18.奥津宮
  • 19.龍宮
  • 20.岩屋
※御札授与所は、朱の鳥居そば、辺津宮境内(3箇所)、中津宮、奥津宮にございます。

<エスカー>

  • ・エスカー(1区)...朱の鳥居~辺津宮
  • ・エスカー(2区)...辺津宮~中津宮
  • ・エスカー(3区)...中津宮~江の島頂上部
エスカーについての詳しい情報はこちら https://enoshima-seacandle.com
1.江の島弁天橋えのしまべんてんばし 片瀬江ノ島駅から「江の島弁天橋」を渡り終えるまで約15~20分。鎌倉幕府によって編纂された『吾妻鏡』には、干潮時、片瀬の浜から江の島まで歩いて渡ったという記載があり、江戸時代には、幕府の高官、歌舞伎役者、職人、火消し、楼主や魚河岸の人々など幅広い階層の参詣者が、干潮時に現れた陸路を歩き、江の島を訪れていたそうです。明治の時代になって木橋が架けられ、現在の橋(全長389m)は、昭和三十九年(1964年)に開催された東京オリンピックのヨット競技に合わせ完成したものです。
2.青銅の鳥居せいどうのとりい 片瀬江ノ島駅から歩いて約15~20分。江の島の入口にある鳥居で、延享四年(1747年)に創建、多くの寄進者によって文政四年(1821年)に再建され、その名が柱に刻まれています。江の島道においては三の鳥居で、一の鳥居は遊行寺前に、二の鳥居は洲鼻通りにありましたが、現存するのはこの三の鳥居のみです。正面の額「江島大明神」は、鎌倉時代の文永の役(蒙古襲来)に勝利した記念に、後宇多ごうだ天皇から贈られた勅額の写しとなります。
3.車祓い所くるまはらいしょ 江の島なぎさ駐車場前にある当社の車祓い所で、お車のお祓いはこちらで執り行います。ご用意をさせていただきます関係上、車祓いのお申し込みにつきましては、お電話にてお問い合わせください。
4.朱の鳥居 しゅのとりい 青銅の鳥居から歩いて約2~3分。江戸時代から今日まで変わらない幅1.5間(約2.75m)の賑やかな参道を通り抜けると見えてくるのが、鮮やかな朱の鳥居です。現在の鳥居は、昭和十一年(1936年)山田流筝曲の家元・林敏子が再建・寄進したものです。
5.瑞心門ずいしんもん 朱の鳥居の正面、石段を上ったところにある龍宮城を模した楼門。人々が瑞々しい心でお参りできるようにと名付けられています。壁や天井には、片岡華陽が描いた牡丹や唐獅子の絵画が飾られていますが、唐獅子はご祭神の守護と参拝者に厄災がふりかからないよう、祈願の意味が込められています。門をくぐると、江島神社ご鎮座1450年を記念して奉献された「弁財天童子石像」があります。
6.福石ふくいし 瑞心門から石段を数段上ったところにあります。江の島にこもり21日間の断食をして鍼の技術上達を祈願した杉山和一(検校)は、満願の日の帰り道に、この石につまづき倒れ気を失ってしまいます。その時、夢の中に弁財天が現れ、手を合わせて拝もうとしたところ、チクチクと身体を刺すものがありました。夢から覚めた和一が、手にとっていたのは松葉の入った竹の筒。これをヒントに和一は、管鍼術くだはりじゅつを考案、江戸で開業して出世道を歩んでいくことになります。
7.江の島弁財天道標えのしまべんざいてんどうひょう 瑞心門から石段を数段上ったところ、福石のそばにある石柱です。鍼術の考案者で江の島弁財天を厚く信仰した杉山検校が、参詣者が道に迷わないよう、藤沢宿から江の島へ続く約5kmの参道に建立した48基の道標のひとつです。現存する14基のうち藤沢市内にある12基が藤沢市の有形文化財に指定。道標の正面には「ゑのしま道」、側面には「一切衆生」「二世安楽」と刻まれています。
8.杉山検校の墓すぎやまけんぎょうのはか 福石の脇の道を入り朱塗りの橋を渡ったところにあります。三重県の伊勢出身の杉山和一(検校)は、幼少時の病が原因で失明してしまい、鍼で身を立てようと決意します。そして、江の島弁財天から授かったといわれる管鍼術で、時の将軍・徳川綱吉の病を治し、関東総検校の地位を与えられました。元禄七年(1694年)に没し弥勒寺(東京都墨田区)に葬られますが、一周忌に際し門人の三浦安一が、杉山検校にゆかりの深い江の島に、笠塔婆型の墓を建立。墓の前の灯籠は、綱吉の側近・柳沢吉保室が寄進したものといわれています。
9.手水舎てみずや 瑞心門から石段を上り約1~2分。参拝者はここで心身を清めましょう。ひしゃく一杯分の水で、左手、右手、口の順番で清めていきます。口をすすぐときは、口を直接ひしゃくにつけないようにしましょう。
10.辺津宮へつみや 朱の鳥居から石段を上り約3~5分。田寸津比賣命たぎつひめのみこと をお祀りしています。高低差のある江の島(神域内)では、一番下に位置していることから『下之宮(しものみや)』とも呼ばれ、神社でのご祈祷は主にこちらでご奉仕されます。拝殿前の巾着の形をした珍しい賽銭箱は、相模彫りと言われる独特の彫り物で、地元の商店によって奉納されたものです。
※詳しくは、辺津宮のページをご覧ください。
11.社務所しゃむしょ 辺津宮の右側にある神職及び職員が執務しているところです。守札の授与、ご祈祷やご朱印の受付もこちらで行っています。
12.奉安殿ほうあんでん 辺津宮境内の八角のお堂・奉安殿には、日本三大弁財天として有名な八臂弁財天はっぴべんざいてん(国指定重要文化財)と裸弁財天・妙音弁財天(市指定重要文化財)が祀られています。
江戸時代には、この江島弁財天への信仰が集まり、江の島詣の人々で大変な賑わいを見せました。
※拝観時間午前8時30分~午後4時30分/拝観料:大人200円 中高生:100円 小学生:50円  小学生未満:無料 (25名~団体割引)
13.八坂神社やさかじんじゃ 奉安殿の隣にある江島神社の末社。建速須佐之男命たけはやすさのおのみことが祀られています。社殿は銅葺の入母屋造りで、江戸時代には天王社として祀られ、弘化元年(1844年)に再建。明治六年(1873年)に「八坂神社」と改称され、平成十三年(2001年)に改築されました。御神体は建速須佐之男命の御木像で、昔は対岸の腰越に祀られていましたが、大波で流され、御窟おんいわや前の海中に沈んでいた御神体を漁師が拾い上げて、江の島に祀ったといわれています。
八坂神社の例祭・神幸祭(毎年七月)は、神輿の海中渡御や天王囃子など江の島をあげて行われ、湘南唯一の夏祭りとして有名です。
14.稲荷社・秋葉社いなりしゃ・あきばしゃ 八坂神社の隣にある江島神社の末社です。豊受気毘賣命とようけひめのみこと火之迦具土神ほのかぐつちのかみが祀られています。社殿は銅葺で入母屋造り。秋葉稲荷・与三郎稲荷・漁護稲荷など、江の島随所にあった小祀を合祀したお社で、江戸時代、火事が多かったことから祀られたとお社と伝えられています。
15.中津宮なかつみや 辺津宮から歩いて約5分。市寸島比賣命いちきしまひめのみことをお祀りしています。度々の改修により、元禄二年当時の朱色が鮮明な社殿を再現。中津宮へ続く参道の両側には、江戸歌舞伎「市村座」と「中村座」が奉献した一対の石燈籠があり、昭和六十年(1985年)には燈籠奉献二百年を記念して音羽屋七代目がしだれ梅を植樹。歌舞伎役者の手形も残されています。
※詳しくは、中津宮のページをご覧ください。
16.山二つやまふたつ 中津宮から歩いて約7~8分。大きな海食洞の天井部分が陥没した跡で、上から見ると瓢箪のようにくびれ、ちょうど山が二つに分かれているように見えます。約4万年前のものから遥か1650万年前のものまで、悠久の時を重ね形成された地層が、海側の山、サムエル・コッキング苑側とそれぞれに見られます。また、削られた山間からは相模湾が見え、独特の風景を楽しめます。
17.山田検校顕彰碑やまだけんぎょう けんしょうひ 中津宮から歩いて約7~8分。奥津宮手前右側にあります。江戸時代の箏曲家で山田流箏曲の流祖だった山田検校は、浄瑠璃の叙事的な要素を導入した語り物的な箏曲の分野を確立。21歳で江の島の風情を貝づくしで歌った「江の島」は名曲と伝えられています。顕彰碑は、大正六年(1917年)の死後、百年忌にあたり建立されました。
18.奥津宮おくつみや 中津宮から歩いて約10分。島内にある三つのお宮(奥津宮、中津宮、辺津宮)には、三姉妹の女神様が祀られ、ここ奥津宮には一番上の姉神の、多紀理比賣命たぎりひめのみことが祀られています。拝殿天井には「八方睨みの亀」が描かれ、奥津宮に向かって右側の燈籠には竜宮の乙姫、左側の燈籠には亀に乗った浦島太郎が精巧に掘り出されています。
※詳しくは、奥津宮のページをご覧ください。
19.龍宮わだつみのみや 奥津宮の隣にあり、岩屋本宮の真上にあたるところに平成五年(1993年)、崇敬者の御篤志により建てられたお宮です。御祭神は龍宮大神。毎年九月九日に例祭が行われています。江の島は、湧出以来、龍神の坐すところとなり、古来、龍神信仰は弁財天信仰と習合されていました。その密接なる結び付きは、『江島縁起』を始め、『太平記』等に多く残されています。
20.岩屋いわや 奥津宮から歩いて約10分。江の島弁財天信仰の発祥の地です。多くの高僧や武将がここを訪れて祈願のため籠ったことを「江の島参籠」といってました。夏は岩屋に海水が入るので、昔は旧四月~十月の間は、岩屋本宮の神様を山の上の御旅所(奥津宮)に移していたと伝えられています。岩屋は、第一岩屋と第二岩屋があり、いずれも藤沢市が管理。現在は、何もお祀りされていませんが、多くの石仏や奇岩、句碑などを見ることができます。
※ご案内での所要時間はおおよその目安です。
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